長生きは本当にいいことなのかはわからないけど、とりあえず価値ある老人を目指そう。

長生きは本当にいいことなのかはわからないけど、とりあえず価値ある老人を目指そう。
stevepb / Pixabay

日本はこれからますます高齢化社会が加速していくわけでいつか私もおじいちゃんになります。でもその時、家族に負担をかけたくない。老害とか呼ばれたくない。できればいくつになっても歳をとってもイキイキとしていたい。ということで、結論!価値ある老人になるために、ブログは続けようと決意しました。

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『死』のタイミングは、本当にわからない

30歳も過ぎると様々な人の『死』に直面するシーンが増えてきました。祖父母だったり親戚だったり、早い人は両親を亡くしたりすることもあると思いますし、場合によっては友人を亡くしたりもします。

40代にもなっていけばもっともっと周りでも病気をする人が出てきたりするだろうし、本当に親しかった人を見送らなければいけないというシーンは、ますます増えていきます。

かと思えば、寝たきりで自分では何もできず介護を必要とされていながらも、長く存命されている方も多くいらっしゃいます。
特に介護問題は国が抱える大きな悩みの種の1つでもありますよね。

 

長生きはいいこと…なのか?

私は昔から、とにかく健康で長生きをして、100歳位までは生きて、死ぬ時は眠るように苦しまずに老衰で死にたい。と思っておりました。

とにかく病気で苦しんで、家族にも苦しんでいる自分の姿を見せながら人生の最期を迎えるのだけは、絶対に避けたいなと言う思いがありましたし、そういう意味においても長生きをすることが家族への責任なのかなと思う部分もありました。

しかし、最近のいろいろな介護に関するニュースや、老後破綻のニュースを見ていると、果たして長生きは良いことなのだろうか?と言う思いが強くなってきております。

私の場合は、幸い祖父母も家族に負担をかけずに天に旅立ち、両親も今のところとても元気ですし、何か大きな病気をしそうな兆しは見られません。

でも嫁さんの実家は、痴呆になりかけのおばあちゃんの介護がなかなか大変な状況で、つくづく思うわけです。
とても嫌な言い方ですが、「そこまで家族に負担をかけながらも長生きをする意味って何かあるのだろうか。人がヨボヨボになっても生きる意味とは何だろう。」と。

価値ある老人になりたい

やはり病気をしないでいつまでも健康でいるという事は良いことだと思います。家族の負担にもならないし。

でも、自分の年代で100歳まで生きるとしたら、健康でほほほんと生きる、それだけじゃ足りないような気がするんです。だってこれからますます高齢者が増えるわけですから。

老人にそこまで求め過ぎるのは酷だろうと言う意見ももちろんあると思いますが。

でも肉体的には健康な100歳であろうと、その時に生きる目標なり生きがいがないと、本人も周りも辛いのではないのだろうか。と思うわけです。誰だって邪魔者扱いをされたくないはずです。

つまり、何か価値のあるものを生み出せる老人になりたい。

価値とは何か。色々あると思いますが、簡単なのは、『お金』『知識』がシンプルでわかりやすいのではないでしょうか。

誰でも歳をとったら若い時のような労働することは肉体的に無理。

何か肉体に負担がかからず、お金を生み出せる仕組みを今のうちに構築しておかなければと思うわけです。そして、出来れば歳をとっても社会に貢献できる人間でいたい。
そうなるとやっぱり今の時点で自分でもできそうなことは、私の場合、地道にブログを続けていくことぐらいかなと。

今後インターネットは、ますます発展するでしょう。そうなったときに今のようなブログで稼ぐと言うスタイルがどこまで確立しているかわかりません。しかし、お金目的だけではなく、自分の思考をアウトプットしたものが誰かが読んでそれが何かの役に立てば、それだけでも意味があると思うんです。

30歳からの、約70年分のブログ…。気が遠くなりそうですが、自分が生きた証を残すと言う観点からも、意味があるのではないでしょうか。

なので私は決めました。100歳までブログを続けてやる!と。

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